浅川の花火

地雷火

浅川の花火について

「花火秘伝帳」

浅川の花火の起こりは諸説あるが、花火を打ち上げ始めたのは江戸時代中期以降であることは確かである。その事は、浅川町の本町・荒町両町内の各家代々に残された、「花火秘伝帳」という小冊子によって証明されている。

この冊子は、一子相伝の秘宝として火薬調合の方法を書き残したものである。火薬がとても貴重な物であり、誰もが簡単に入手できるものではなかった江戸時代に、花火を作り、伝統行事としてずっと続けて行われてきた事は、それなりの理由があったと思われるが、色々な説があり定かではない。

花火秘伝帳
「大からくり」

昭和二十五年(1950)に「火薬取締法」が施行され、一般家庭での火薬の取り扱いができなくなり、現在は、専門の花火師によって花火を作っているが、今でも名物の「大からくり」だけは、両町青年会合同で作っていて、花火大会当日それを担ぎ町内を練り歩き、花火の打ち上げ現場まで運ぶ伝統を守っている。

「地雷火」

もう一つの名物花火「大地雷火」は、町のシンボルであり町民をずっと見守ってきた城山の山頂にセットし、破裂させ七彩の光を扇方に散らせる花火である。この「地雷火」の初めはそれほど古くはなく、昭和三十六年(1961)が最初の年である。以来、他の市町村では見ることが出来ない名物の花火となっている。そして現在、浅川の花火は、慰霊の為の花火として受け継がれ、毎年お盆の八月十六日に、本町・荒町両町青年会主催で行われている。間違いなく言える事は、300有余年の間、町民に伝統文化として継承され、町民をずっと楽しませてきたという事である。

浅川の花火は、毎年お盆の8月16日に開催されます。

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